自分を大きく見せなくてもいい。最近になって自慢話が少し苦手になった

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最近、今まで何気なく聞いていた友人との会話の中に込められる、ささやかな自慢に違和感を覚えるようになりました。

でも、そんなことを思ったあとで、ふと我に返りました。

考えてみれば、私も同じようなことをさんざんやってきたのです。

「大学のクラスメートが、今は○○会社の役員になっている」

「高校の先輩の○○さんは、こんなに活躍しているらしい」

などなど。

その人たちの活躍を誇らしく思う気持ちは、もちろんありました。

でも今思えば、その人とつながっている自分まで、少し立派になったような気持ちになっていたのかもしれません。

なぜ、自慢話が気になるようになったのだろう

以前から、あからさまな自慢話が好きだったわけではありません。

ただ、人の話の中に混じるささやかな自慢や、自分自身が何気なく口にする自慢について、今ほど意識してはいなかったように思います。

それなのに、なぜ最近になって気になるようになったのでしょう。

最近、私の考え方に影響を与えている本があります。

ヒルティの『幸福論』です。

この本は私にとってかなり難しく、以前の私なら、途中で投げ出してしまっていたと思います。

ところが、子どもが難しい文章を写真に撮り、AIに解説してもらっているのを見て、

「これだ」

と思いました。

私も分からない部分を写真に撮って、AIに解説してもらいながら読むことにしました。

そうしているうちに、少しずつ本全体の流れや、そこに書かれている考え方が分かるようになってきました。

人生は、未来への期待や過去への後悔にとらわれすぎるのではなく、今を生きるしかないこと。

完全に快適な人生が、必ずしも人を幸せにするわけではないこと。

困難がやってきて、それをなんとか乗り越え、ほっとして一瞬の幸福を感じる。そしてまた何かが起こり、それに向き合っていく。

人生とは、そんなことの繰り返しなのかもしれない。

読んでいるうちに、私には「禍福は糾える縄の如し」という言葉が、以前よりずっと実感をもって感じられるようになりました。

「分限」という言葉について考える

この本の影響もあって、私は少しずつ、地に足をつけて生きられるようになってきた気がします。

母がよく使っていた言葉に、「分限をわきまえる」という言葉があります。

少し古めかしく、使い方によっては窮屈にも感じる言葉です。

でも最近の私はこれを、誰かに「自分の立場をわきまえなさい」と言う意味ではなく、自分を実物以上に大きく見せようとしなくてもいい、という意味で受け取るようになりました。

自分は自分以上でも、自分以下でもない。

以前の私は、人からどう見られるかや、自分を少し立派に見せてくれるものに、今よりずっと心を動かされていました。

そんな「虚栄的なものの、ふわふわとした幸せ」に、最近はあまり魅力を感じなくなってきました。

母はよく、

「自分の優位性をきちんと相手に伝えないと、人になめられるよ」

と私に教えてきました。

母には母なりに、そう思うようになった人生の経験があったのでしょう。

それは、母が生きていく中で身につけた知恵だったのだと思います。

でも今の私は、なめられてもいいと思っています。

自分を少し立派に見せるものを付け加えなくても、飾らない自分と親しくしてくれる人と付き合っていきたい。

今は、そんなふうに思っています。

人生が後半戦に入ったから

なぜ、こんな心境になったのでしょう。

それは、人生がもう後半戦に入ったからなのだと思います。

これからは、体調のこと、お金のこと、そして老いていくこと。

人生には、少しずつ下っていくような時期もやってきます。

「生老病死」という言葉が、若いころよりもずっと身近に感じられる年齢になりました。

だからこそ、これからは自然の移ろいや、日々の小さな幸せを大切にしたい。

そして、できる範囲で人に親切にして生きていきたい。

そんなふうに思うようになりました。

若いころは、もっと認められたいという気持ちがありました。

人からどう見られているのかも気になりました。

それも、これまでの私の人生には必要なものだったのだと思います。

仕事の中で「認められたい」という気持ちについては、以前「目立たなくても、仕事はちゃんと自分の中に残っている」という記事にも書きました。

でも、これからは何かを付け加えて自分を大きく見せることより、自分に与えられたものの中に、小さな幸せを見つけられる人でありたいと思っています。

父は自慢話をしない人だった

そう考えていると、父のことを思い出しました。

父は、まったく自慢話をしない人でした。

子どもの頃の私は、寡黙すぎる父をあまり理解できませんでした。

でも今になって思うと、父の中には、自慢で飾らなくてもいい自分があったのかもしれません。

私もこれからは、自慢とは無縁に、静かに生きていきたい。

……と締めくくりたいところなのですが。

昨日も子どもの近況を聞かれて、さらっと流せばいいものを、あれこれ詳しく話してしまいました。

あとになって、

「あれは、人によっては自慢に聞こえただろうか」

と、心の中でもじもじしていました。

人としてまだまだです(笑)。

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