私は、気持ちがつらいときのほうが、ブログを旺盛に書くことができます。
仕事で嫌なことがあった日。
誰かとの関係に悩んだ日。
「私はどうすればよかったんだろう」と考え続けている日。
そんなときは、文章が出てきます。
最近になって、私にとってブログを書くことは、混沌とした頭の中を整理する方法にもなっているのだと気づきました。
気持ちのやり場がなく、本当につらかった
先日、仕事で部下と関係部署との板挟みになりました。
自分の抱える重圧に、押しつぶされそうでした。
部下には部下の考えがあり、必要以上の資料を作らなくてよいと意思を固めています。
一方、関係部署からは「この追加資料が必要です」と求められます。
その間に立っているうちに、しんどくなってきました。
「この気持ちのやり場がない」
辛くて仕方がありませんでした。
若いころの私なら、帰宅後にビールを飲むところです(笑)。
でも、それで何も解決しないことは、長年の経験でよく分かっています。
そこで私は、書くことにしました。
「相手が本当に必要なものは何だろう」
最初は、
「部下はやらないと言う」
「でも、関係部署はやってほしいと言う」
「では、私はどうすればいいの?」
というところで、思考が止まっていました。
ところが、人に読んでもらう文章にしようと考えながら書いていると、少しずつ頭の中が整理されてきました。
そして、ふと思いました。
「関係部署は、なぜこの資料が必要なのだろう」
相手の要求を、言葉どおりに受け取る必要はないのかもしれない。
その言葉の後ろにある、本当の目的は何なのだろう。
そう考えてみると、相手が本当に必要としているのは、指定された資料そのものではなく、「最新の状況も、それまでと同じ傾向にある」と確認できる材料なのだと分かってきました。
それなら、手元にある別の資料でも説明できます。
そこで、すでに持っていたデータを確認し、それまでの傾向と変わっていないことを解説して提出しました。
すると、無事に受け入れてもらうことができました。
行き詰まっていた仕事が、動き出しました。
部下にも、協力してくれたことへの感謝を伝えました。
書いたことで、
「誰が悪いのか」
ではなく、
「何が本当の問題なのか」
を考えられるようになったのだと思います。
誰かに伝えようとすると、頭の中の霧が晴れる
自分の気持ちをノートに書くだけでも、頭の整理にはなると思います。
でも私の場合、「誰かに伝わる文章にしよう」と思って書くことには、別の効果があるようです。
頭の中にかかっていた霧が晴れて、混沌としていた中から、何かが形になって現れてきます。
この感覚には、以前にも覚えがあります。
昔、苦手な英語をどうにかしようと、1か月ほど海外で勉強したことがあります。
日本語で考えた文章を英語にしようとして、頭の中がこんがらがっていた私に、現地の先生が、
「英語で話したいなら、英語で考えるといいよ」
と教えてくれました。
そこで、英語だけで自分の言いたいことを考えてみると、意外にも頭の中がシンプルになりました。
何しろ語彙力が少ないので、複雑なことは言えません(笑)。
でも、それがかえって、
「私は、いったい何を伝えたいのだろう」
と考えるトレーニングになったのかもしれません。
ブログを書くことにも、少し似たところがあります。
「この出来事を知らない人に説明するには、どう書けば伝わるだろう」
そう考えた瞬間に、自分の感情から少しだけ離れて、出来事を眺めることができます。
『アウトプット大全』の言葉が、やっと腑に落ちた
以前、樺沢紫苑さんの『アウトプット大全』を読んだことがあります。
その中に、「インプットとアウトプットの黄金比率は3:7」という話が出てきます。
読んだ当時の私は、
「アウトプットに7割も費やすの?」
と、いまひとつピンときませんでした。
本を読んだり、人の話を聞いたり、新しいことを学んだりするインプットのほうが大切なのではないか。
そんなふうに思っていたのだと思います。
でも今は、アウトプットにそれだけの比重を置く意味が、少し分かるようになりました。
同じ本には、「『現実』はアウトプットでしか変わらない」という章もあります。
今回、私は仕事で抱えた問題を書きました。
書いたことで考えが整理されました。
考えが整理されたから、別の方法が見つかり、実際に行動することができました。
そして行動したことで、現実も少し動きました。
「ああ、『現実はアウトプットでしか変わらない』って、こういうことなのか」
本を読んでからずいぶん経って、ようやく腑に落ちた気がしました。
やはり、経験してみないと分からないことがあるのだと思います。
「苦しさと創作」が、少しだけ分かるようになった
以前、家族から、ある「ものづくり」を仕事にしている方の話を聞いたことがあります。
その方は、若い世代に向けて、
「幸せな毎日だけでは、いいものは生まれない。ものを作るには、苦しさも大切なのだ」
というようなことを話していたそうです。
その話を聞いた当時の私は、正直、意味がよく分かりませんでした。
創作することと、苦しむことが、私の中ではまったく結びつかなかったのです。
でも、自分がブログを書くようになって、少しだけ分かるような気がしてきました。
つらいことがあったとき、その苦しさをただ抱えているのではなく、何とか言葉にしてみようとする。
どうしてこんなにつらいのだろう。
私は何に腹を立てているのだろう。
本当はどうしたかったのだろう。
そんなことを考えながら文章にしていくと、混沌としていたものが、少しずつ形になっていきます。
そして、苦しさの中から書いた文章には、うまく言えませんが、自分の思いが入るような気がします。
もしかすると、あのとき聞いた「苦しさも大切」という言葉は、こういうことだったのかもしれません。
もちろん、苦しいほうがいいとは思いません(笑)。
できることなら、毎日平穏に暮らしたい。
それでも、向こうからやってきた苦しさを何かの形にしようとすることが、結果として誰かに伝わるものを生むのかもしれません。
書くことは、自分を守ることでもある
仕事のモヤモヤを家まで持ち帰ってしまったとき、私はほかにもいくつか、自分なりの気持ちの切り替え方を試しています。
また、私は、仕事のストレスを長く抱えたままにしていると、頭痛がしたり、めまいがしたりすることがあります。
これまでにも経験しているので、今回も、
「このモヤモヤを週末ずっと抱えるのはよくない。早く何とかしよう」
と思っていました。
書き始めると、頭の中でぐるぐるしていたものが、少しずつ言葉になっていきました。
今回は、週末ずっとモヤモヤが続くこともなく、仕事そのものも無事に着地しました。
ブログを書くことが、いつも現実の問題を解決してくれるわけではないでしょう。
それでも、自分が何に苦しんでいるのかを言葉にしてみる。
そして、それを誰かに伝わる形にしてみる。
それだけでも、混沌としていたものに少し輪郭が生まれます。
私にとってブログを書くことは、何かを発信するためだけのものではなく、自分の頭を整理し、自分を守るための方法にもなっているようです。
ただし今回、かなり長い時間パソコンに向かっていたので、肩はものすごくこりました(笑)。
こちらは、ストレッチで対処しました。
心のモヤモヤにはブログ。
肩こりにはストレッチ。
今のところ、この組み合わせが私には合っているようです。
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