職場で近くにいる人が不機嫌そうにしていると、気になりませんか。
私は、とても気になる人でした。
特に30代から40代にかけては、不安を感じることが多い時期でした。
近くにいる人の機嫌が悪いと、
「私が何か不愉快な思いをさせたかな」
「あの出来事は、そもそも私が悪かったのでは」
と、とっさに自分に原因を探していました。
今思えば、相手が不機嫌であることと、私に原因があることは別の話です。
でも当時の私は、その二つをうまく分けることができませんでした。
50代になった今、少しずつですが、人間関係で「課題を分ける」ことができるようになってきました。
それだけで、以前よりずいぶん生きやすくなったように感じています。
相手が不機嫌でも、私のせいとは限らない
最近は、職場で誰かが不機嫌そうにしていても、こんなふうに考えるようになりました。
「家庭で何か嫌なことがあったのかもしれない。とりあえず、そっとしておこう」
「もし私に原因があるのなら、必要があれば何か言ってくるだろう」
そして、あまりにも不機嫌を周囲にまき散らすようなら、
「それはもう“フキハラ”だし(笑)」
と。
もちろん、今でも不機嫌な人が近くにいると、少しドキドキします。
でも、気持ちは反応しても、頭の中は以前より冷静でいられるようになりました。
この考え方ができるようになったきっかけの一つが、エピクテトスの本でした。
以前、このブログの「人の顔色を気にしてしまうあなたへ:エピクテトスが教える心の自由」という記事でも紹介した言葉があります。
「自由に至る唯一の道は『我々次第でないもの』を軽く見ることである」
相手が何を考えているのか。
なぜ不機嫌なのか。
私のことをどう思っているのか。
それは、私にはコントロールできません。
一方で、その人とどう接するのか、自分がどう行動するのかは、自分で考えることができます。
「自分ではコントロールできないことは仕方がない」
そう思えるようになるまで、私にはずいぶん時間がかかりました。
モヤモヤしたときこそ、問題を一緒にしない
「課題を分ける」ことが必要なのは、相手の機嫌が気になるときだけではありません。
自分が誰かに「ん?」と思ったときにも、大切だと感じています。
先日、ある職員が研修を受けることになりました。
本人から希望日をいくつか出してもらい、担当部署と調整して日程が決まりました。
ところが、決定を伝えた直後、
「その日は都合が悪いので、別の日にしてほしい」
と言われました。
よく確認してみると、本人が希望日として出した日には、すでに別の予定が入っていました。
担当部署にもう一度問い合わせると、応募多数ため日程変更はできず、キャンセル待ちになるとのことでした。
正直なところ、「せっかく日程を調整したのに……」と、少しモヤモヤしました。
そして頭の中では、今回とは関係のない、以前からその人に対して感じていたことまで出てきました。
そんなとき、母がよく使っていた言葉を思い出しました。
「味噌もくそも一緒にするな」
少々品のない言葉ですが(笑)、なかなか的を射ています。
今回考えるべきなのは、希望日を出す前に予定をきちんと確認していなかったことです。
ところがモヤモヤしていると、「そういえば、あのときも……」と、以前からその人に感じていたことまで思い出してしまいます。
でも、それは今回の研修の日程調整とは別の問題です。
母の言葉どおり、まさに「味噌もくそも一緒」にしていたのだと思います。
モヤモヤしたときこそ、いったん立ち止まって、
「今、考えるべき問題は何だろう」
と分けてみる。
それだけでも、少し冷静になれます。
管理職になると「板挟み」が増えた
管理職になってから、もう一つ増えたのが「板挟み」です。
最近は、関係部署と自分の部署の職員の間に立って、双方の意見を調整することがあります。
先日も、ある会議資料をめぐって、関係部署と担当者の意見が食い違うことがありました。
関係部署からは、
「もう少し新しい時点のデータを出してほしい」
と求められました。
ところが、ちょうどシステムが切り替わった時期で、それまでと同じ方法ではデータを出すことができません。
そこで関係部署からは、
「分類が変わってもいいから、手持ち資料として新しいデータを準備してほしい」
と言われました。
その気持ちも、私には分かります。
ところが、それを担当者に伝えると、
「簡単に引き受けないでほしい。慌てて作った数字が今後ひとり歩きしても困る」
「一度引き受ければ、これから要求がエスカレートするかもしれない」
と強く反対されました。
そして、
「できないこと、はっきりと相手方に伝えてほしい」
と言われました。
これには、かなりこたえました。
関係部署にも事情がある。
担当者の言っていることにも一理ある。
かといって、関係部署に強く「できません」と言えば、それで話が収まるとも思えません。
その日は、
「あー、こういう人間関係にこれからも悩むんだ。やっぱり仕事辞めたいなー」
と、かなり思いつめました(笑)。
「全員を納得させる」までが私の仕事ではない
少し時間を置いてから、一つずつ分けて考えてみました。
双方の話を聞くことは、私の仕事。
それぞれの事情を整理することも、できる範囲で調整することも、私の仕事。
でも、双方の主張がどうしても平行線になったとき、全員を私一人で納得させるところまでが、私の仕事なのだろうか。
そう考えると、少し違うような気がしました。
私は双方の話を聞き、できるところまで調整しました。
それでも意見が一致しないのであれば、ここから先は私一人で抱えるのではなく、上司に相談して、組織としてどうするかを考えてもらえばいい。
この話は、実はまだ途中です。
週明けに上司に相談しようと思っています。
ですから、問題そのものはまだ何も解決していません。
それでも、
「ここまでは私の仕事。ここから先は私一人で抱える問題ではない」
と整理しただけで、気持ちはずいぶん落ち着きました。
問題がなくなったのではなく、距離の取り方が変わった
振り返ってみると、最近の私は、いろいろな場面で同じことをしているようです。
相手が不機嫌だからといって、自分が悪いと決めつけない。
誰かにモヤモヤしても、今回起きた問題と、その人への普段の評価を一緒にしない。
仕事で板挟みになっても、自分が調整することと、組織として判断してもらうことを分ける。
「課題を分ける」というと、少し冷たい言葉に聞こえるかもしれません。
でも私は、相手を突き放すことではないと思っています。
自分が考えるべきことには、きちんと向き合う。
その一方で、自分ではどうにもできないことまで背負わない。
問題がなくなったわけではありません。
問題との距離の取り方が、少しずつ分かってきたのだと思います。
30代、40代の私に「あれは本当だったよ」と伝えたい
30代、40代のころの私は、子育ても仕事も負担が重く、不安を感じることも多くて、毎日を生きていくだけで精いっぱいでした。
そのころ、新聞で「年代別の幸福感」を表したグラフを見たことがあります。
若いころから中年期にかけて幸福度が下がり、その後また上がっていくU字型のグラフでした。
「本当に50代になったら、少しは楽になれるのかな」
半信半疑で、そのグラフを眺めていたことを覚えています。
最近、昔見たグラフと同じような研究を紹介している記事を見つけました。
PRESIDENT Onlineの記事では、145カ国を対象にした研究で、幸福度が最も低くなる年齢は平均48.3歳だったと紹介されています。日本でも、データによって49歳または50歳で幸福度が最も低くなるという結果が出ているそうです。
もちろん、50歳を過ぎれば誰もが幸せになる、ということではないでしょう。
それでも今、30代、40代のころの自分に声をかけられるなら、こう言いたいです。
「あのグラフ、本当だったよ」
50代になったから、嫌なことが起こらなくなったわけではありません。
人の不機嫌には今でも少しドキドキします。
職場で板挟みになれば、「もう仕事辞めたいなー」と思う日もあります(笑)。
それでも、
「これは私が考えること」
「これは相手の問題」
「ここから先は組織として考えること」
と、少しずつ分けられるようになりました。
自分ではどうにもできないことまで、全部背負わなくてもいい。
それが分かるまで、ずいぶん時間がかかりました。
でも、その分だけ、50代の私は30代、40代のころより、少し自由になったような気がしています。
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