人の顔色を気にしてばかりいると、疲れてしまいますよね。
誰かのちょっとした表情や言葉に反応して、
「自分が悪かったのかな」
「どう思われているんだろう」
と考えてしまう。
私も、人の反応を気にしすぎてしまうところがあります。
たとえば職場で、いつもより相手の反応がそっけなかったり、表情が少し険しく見えたりすると、
「何かまずいことを言ったかな」
と気になることがあります。
でも、本当のところは分かりません。
仕事が忙しいのかもしれないし、体調が悪いのかもしれない。その人自身に何か気になることがあるのかもしれません。
そんな私が『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業――この生きづらい世の中で「よく生きる」ために』(荻野弘之著)を読んで、少し気持ちが楽になりました。

人の顔色は「自分でコントロールできない」ことの代表例だった
エピクテトスは、奴隷の身分から解放され、哲学を教えるようになった古代ローマ帝国時代の哲学者です。
彼の教えの中で、私が特に心に残ったのは、
「自分でコントロールできること」と「自分ではコントロールできないこと」を分けて考える
ということでした。
考えてみれば、人の顔色や他人からの評価は、まさに「自分ではコントロールできないこと」です。
どんなに相手に気をつかっても、その人がどう感じるかまでは決められません。
たとえば職場で、相手の表情がいつもより険しく見えたとしても、その理由は私には分かりません。
私の言動が原因かもしれないし、まったく別のことで機嫌が悪いのかもしれない。
それなのに私は、「私が何かしたのかな」と、自分ではどうにもできない相手の気持ちまで考え続けてしまうことがありました。
私にできるのは、自分がどう考え、どう行動するかということだけです。
エピクテトスの教えを知ってから、相手の反応ではなく、自分にできることの方へ目を向けることが大切なのだと思うようになりました。
「他人の評価」という泥沼から脱出するには
もちろん、エピクテトスの教えを知ったからといって、急に人の反応が気にならなくなったわけではありません。
今でも職場で相手の表情や言葉が気になると、
「何か悪いことをしたかな」
と考えてしまうことがあります。
そんなときは、
「これは、自分でコントロールできることだろうか」
と考えてみます。
もし自分に直すべきところがあると思えば、振り返って次から気をつける。必要なら謝る。
そこまでは、自分にできることです。
でも、そのあと相手がどう思うか、どう評価するかまでは、私には決められません。
そう考えると、少し気持ちが楽になります。
そして、
「今日は、目の前の仕事をきちんとやろう」
と、自分にできることへ意識を戻します。
今でも「他人の評価」という泥沼に足を取られることはあります。
ただ、以前より少し早く、そこから抜け出せるようになったのかもしれません。
人の顔色を気にしない人にはなれないけれど
エピクテトスの教えを知ったからといって、私は人の顔色を気にしなくなったわけではありません。
たぶん、これからも気にしてしまうのでしょう。
でも、以前と少し違うのは、気になったときに戻る場所ができたことです。
「相手がどう思うか」ではなく、「自分にできることは何だろう」と考える。
エピクテトスの言葉は、私を「人の顔色を気にしない人」に変えてくれたわけではありません。
人の顔色が気になってしまったときに、そこから自分の場所へ戻ってくるための考え方を教えてくれたのだと思います。
職場の人間関係や周囲の評価に疲れている人には、『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』は、何か一つ心に残る考え方を見つけられる本かもしれません。
まとめ
人の顔色が気になってしまうのは、今も変わりません。
でも、相手がどう思うかは、私にはコントロールできない。
私にできるのは、自分の言動を振り返り、必要なら謝り、次にできることを考えるところまでです。
そう思えるようになってから、以前より少しだけ、人の評価に振り回される時間が減りました。
人の顔色を気にしない人にならなくてもいい。
気になってしまったときに、
「これは、自分にどうにかできることだろうか」
と立ち止まって考えてみる。
エピクテトスの教えは、今でも私が自分の心を立て直すための、小さな助けになっています。
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